辻島電鉄 :: ADULT EXPRESS :: 市松空港行き 
adultpour.exblog.jp
辻島市松             趣向を変えて仄かな芳醇と時事ニウスと。パッと見ぶったギリなのでご注意を。日々思考はびろうど。
ADULTTALK
ブログ カウンター
岩盤浴 東京IPアドレス求人情報

累計
今日昨日


Black Rider's Adventures

NZ旅行にてお世話になった
Masaさん率いる
Black Rider's Adventures LTD。
ニュージーランド南島北部に拠点を置くアドベンチャー志向の強い南島専門のツアーを組んでいる旅行会社。
我儘三昧奈僕らも
臨機応変に色んなアレンジをしていただいて
まことに有難い限りと・・・。
Masaさんは武士です。
それでもって可愛いです。
イカス男だYO!!1
ツアーの事や日々の出来事を語る
↓↓
「異国を自由気儘に・・・」
↑↑

も、なんだかほんわかで楽しいのです。



INA 辻島航空 NZ90便 Nelson行き


ニュージーランド旅行綴り開店しました。
以前の記事
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
― ラスプーチンとは何者だったのだろう ―
f0052235_0551088.jpg






のちに怪僧と呼ばれたこの男の本名は、グリゴーリ・イェヒモビチ・ラスプーチンという。
もとはシベリアのチュメニ県ポクロフスコエ村の貧しい農家の出身である彼は、まともな学校教育を受けたことがないにもかかわらず知力には優れたものがあったといわれている。彼については様々な説があるが、ロシア正教会の正規の僧侶ではなかったこと以外、その実像は現在でも不明とされている点が多い。

20才ですでに結婚していたラスプーチンは、ある日突然、父親と妻に「巡礼の旅に出る」と言い残し、ふらりといなくなってしまう。一説では畑仕事をしている時に聖母マリアの啓示を受けたのが原因といわれているが、その一方では、単に畑仕事に嫌気をさした彼の呈のいい逃げ口上ともいわれている。

さて、その後、彼の巡礼の旅は十数年にも及んだ。その中で彼は自信に満ち満ちた説教(ハッタリ?)と眼力(演技?)にメキメキ磨きをかけ、それにすっかり心服した(ダマされた?)帰依者(カモ?)が彼の周りに集まるようになってきた。その頃になると、彼はシベリアの農民たちの間で名を知られる有名人になっており、彼自身も自分の力を生かして「もっとビッグに」という野望を抱くようになったという。

 

1904年、ペテルブルク(のちにペテログラードと改称)に居を構えた34才の彼は、東方密教の修道院で習得したという神秘的な占星術や呪術で上流階級の婦人たちの間で評判になっていく中、ニコライ大公夫人に取り入り、病気治療を施した信望者からは『奇跡を行う神の人』とさえ称されるまでになっていた。そうしてラスプーチンの奇跡の噂はロシア皇帝ニコライ二世と皇后アレクサンドラの耳にも届くのである。

皇帝ニコライ二世の息子アレクセイ皇太子は、病弱で血友病の持病があった。奇跡の人・ラスプーチンはアレクサンドラ皇后に紹介されると、すぐさま信頼を勝ち取り、1905年11月1日にはロシア皇帝ニコライ2世に謁見を果たすのである。


その後、ラスプーチンは皇太子の病状が悪化する度に宮廷に呼び出され祈祷を施すようになるのだが、不思議なことに、彼が祈祷すると皇太子の病状が治まったことから、皇帝夫婦から絶大ともいえる揺るぎない信頼を得ていった。

皇帝ニコライ二世は、彼をいつもそばに置き、何に関しても彼に相談し、彼の占いや予言に頼り切るようになっていった。当時のニコライ二世の日記には頻繁に彼の名前が登場している。また、現存する写真や映像の中にも、皇帝夫妻に影のように寄り添う黒装束の異様な風貌の人物・ラスプーチンの姿が多く残されている。

 

皇帝夫妻から『我らの友』と呼ばれる大のお気に入りに成り上がったラスプーチンは、宮廷内を我がもの顔に闊歩し、次第に政治にまで口を挟むようになる。

彼の身辺を調査した当時の秘密警察は、彼の日常生活について『醜態の限りを尽くした淫蕩な生活』(乱○パーティー?)と報告したが、皇帝夫妻は全く取り上げなかった。
ラスプーチンが行ったといわれる怪しげな祈祷は、現在、密教技術を用いた気功の一つである秘伝功と考えられている。どうやってこの秘術を身に付けたのかは不明だが、東方正教会在住時に身に付けたのではないかともいわれている。

皇帝の側近たちの多くは、怪しげな祈祷師でしかないラスプーチンの排除を皇帝に嘆願したが、皇帝は聞き入れようとはしなかった。一方、ラスプーチンの宮廷での影響力をあてにした宮廷内の極反動派や金融資本家などが利益を得ようと彼に取り入り、宮廷内は分裂の危機に瀕していた。

 

更に、第一次世界大戦下、ロシアが苦戦に陥ったため、陣頭指揮に当たるためニコライ2世が前線に出てしまうと、皇帝から後を託されたアレクサンドラ皇后がラスプーチンを頼んで政府を主導するようになった。

そうして内政を握る皇后アレクサンドラが、大臣や官僚の任命まで予言者である彼の言葉で決定してしまうため、貴族たちの間では不満の声がますます大きくなっていった。


そんな中、次第に皇后アレクサンドラとラスプーチンの愛人関係が囁かれるようになり、一向に好転しない戦況から二人がドイツと密約を交わしているのではないかという憶測まで飛び出し、革命の風潮が高まる中、ラスプーチンはとうとう反ラスプーチン派の貴族によって暗殺されることになる。

1916年12月25日。

皇族ユスポフ家にてユスポフ公を先陣にして行われたこの暗殺劇の一部始終は奇怪な記録として残っている。

はじめ貴族たちは暗殺計画などおくびにも出さず、友好的な雰囲気を装ってラスプーチンを皇族ユスポフ公の屋敷に招いた。そして、平然を装って彼に毒の入ったワインを飲ませた。

しかし、おかしなことにしばらく経っても全く効き目が現れなかったため、焦った貴族たちは短剣で刺した。それでも死なないので、次は銃を使った。合計4発の弾丸を撃ち込んだが、それでもまだ息があった。

まるでターミネーターのようなしぶとさである。

このへんで貴族たちは相当気味が悪くなったと見える。毒入りワインなんて優雅な考えはとっくに吹っ飛んでしまったらしく、どんどん力まかせな方法に出はじめるのだ。

次には棍棒で頭を砕いて撲殺しようとした。しかし、それでもまだ生きているので、窓から道路に叩き落した。それでも息があるので、最後は身体をむしろに巻いて凍てつくネヴァ川に放り込んだ。・・・と、まあ、思いつく方法すべてを試みた必死の形跡が見てとれる。この時、彼らの手元にダイナマイトがあれば、迷わず使ったに違いない。
この奇怪な一夜から3日後、ネヴァ川の厚く張った氷の下からラスプーチンの遺体を引き上げたのだが、彼の肺を調べると、その両肺は水でいっぱいだったという。

やはり彼は確かにネヴァ川に棄てられるまで生きていたのだ。

 

彼の死は国中に知らされ、宮廷を好きに操っていたこの怪しげな祈祷師の死を国民は心から祝ったといわれる。

 

ラスプーチンは、生存中から馬泥棒の経歴や女信者との淫らな関係を何度となく新聞に取り上げられており、怪僧や怪物などと称されたが、その奇怪な最期の様子もまた怪物と呼ばれる由縁になっている。そして、現在でもその人物評は最悪である。
[PR]
by ADULTPOUR | 2006-04-16 00:55 | ナゾ